ITORINSANイトウ林産の家づくり

本物の家「郡上の家」伝統の技を駆使した本物の家
南北に長く、四季の変化に富んだ日本。
この独特の気候風土は、いやが上にもこの国の建築技術を高めてきました。
1300年の風雪に耐えた法隆寺に代表されるように、木造建築を長期にわたり保つ技は、世界にも類を見ないものです。
また、桂離宮に代表されるように、木を生かした意匠の斬新さ・美しさも、世界の注目と称賛を集めてきました。
イトウ林産は、その本格日本建築の流れを組む工務店です。
生意気なようですが、いわゆる”和風”などという軟弱なものとは一線を画していると自負しています。
伝統の技を駆使した本物の家。
百年二百年生き続けることを前提に造られた、堅牢な家。
イトウ林産の「郡上の家」は、そんな家です。
尺(30cm)角の大黒柱
6寸(18cm)角から7寸(21cm)角の通し柱
5寸(15cm)×4寸(12cm)の土台
これらの構造材には、すべてひのきを使っています。
屋根の過重を引き受ける地棟は、国産アカマツの一本丸太。
私たちは、日本の伝統である骨太の構造をしっかりと踏襲しています。
そして、それらの木を自在に扱い、腕を競い合うように造作に工夫を凝らすのは、城下町・郡上八幡が育んだ、日本でも有数の大工・左官・瓦師・建具師たちです。
ごまかしのない、本物の家をお望みのあなた。
材を見る目と、それを生かす腕をもった工務店をお探しのあなた。
どうせ家を建てるのなら、日本建築の粋を極めた家を建ててみたいと思っているあなた。
私たちには、そんな本物志向のお客様の期待に応える自信があります。
よき出会いを、心から願っております。

木を知りぬいた工務店木のこととなると妥協することを知らない
イトウ林産のある岐阜・郡上八幡は、90%以上が山林という山国です。イトウ林産社長・伊藤浩司は、この地で代々続いた名主で、製材業を営む家に生まれました。
名主の息子といえども、ちやほやされて育ったわけではありません。
むしろその逆で、「人の範たる人物となれ」と、幼少の頃から厳しく仕事を仕込まれました。
いまも「木を見る目にかけては誰にも負けない」と伊藤が自負しているのは、自分の足で山を歩き、培ってきた経験の裏付けがあるからです。
山が大好きな伊藤は、製材業だけを続けるつもりでしたが、「おたくの木で家を建ててくれ」と頼まれることがあり、そんな時には思い切り贅沢に木を使った家を、時間をかけてつくっていました。
それがやがて評判を呼び、本格木造建築の家がほしい人の間に噂が広まっていきました。
「それならひとつ、本腰を入れてやってみようか」
一級建築士の資格を取り、住宅建築に乗り出したのは、伊藤が33歳の時のことでした。
自社工場で製材・加工する「郡上の家」には、流通コストの上乗せがありません。
そのため「これだけの材料を使って、この値段でできるの?」と驚かれることがよくあります。
木が好きで、木をよく知っておられるお客様ほど、その驚きは大きいようです。
また、木のこととなると妥協することを知らない社長・伊藤の性格もあって、建てているうちに、どんどん木のグレードが上がり、契約時よりもいい家になっていた、ということもしばしば。
経理担当社員に悲鳴を上げさせています(笑)。
それでもイトウ林産のスタッフは全員、基本的に木が好きで集まってきた人間ばかり。
だから、「木の家が欲しいんです」と言ってくださるお客様と出会えることが嬉しいのです。
木の国・日本に生まれた私たち。
大きな木を見るだけで喜びを感じ、心やすらぐのは、私たちに共通した思いではないでしょうか。
イトウ林産の「郡上の家」は、大きな木の木陰に休んでいるようなそんな安心感と心地よさを届ける家でありたい―。
私たちは、そんな風に思っています。

日本一の匠が建てる家腕がいいことで知られる郡上八幡の職人たち
多くの旅人のあこがれを誘う郡上八幡。しっとりとした街並み、清らかな川の流れ、湧き水、夏の夜を彩る郡上おどりなど、山間の小さな町は尽きせぬ魅力を秘めています。
そんな郡上八幡のもう一つの自慢は、優れた職人が数多く暮らしていること。
城下町には職人がつきものですが、中でも郡上八幡の職人たちは腕がいいことで知られています。
イトウ林産も数年前、寺社建築の本場・京都から依頼を受けて、あるお寺の本堂を建てさせていただきました。
会社が認められたというよりも、いつも一緒に仕事をしている大工や左官の棟梁たちの腕が認められた喜びと誇らしさで、胸がいっぱいになったものです。
イトウ林産の家は、この職人の素晴らしい腕があるからこそ建てられるもの。
郡上八幡という地ゆえの恵みに、感謝の思いでいっぱいです。
無口でシャイ。けれど心は人一倍熱い職人たち。
その鍛え抜かれた手並みを見るのも、「郡上の家」を建てる醍醐味の一つかもしれません。